
私たちににとって
当たり前となっている
「お墓」とはいつから
確立されたものなのでしょうか?
古い時代において
日本人のお墓は、
権力者たちにとって
とても大切なものでした。
権力の象徴となるお墓は
一般市民とっては
勝手に作ることを
許されないものだったのです。
お墓の歴史とその背景
それでは、現代の私たちのように
お墓を持つことが当たり前になったのは
いつからなのでしょうか?
簡単にその流れをご紹介いたします。
まず、縄文時代や古墳時代については
コチラの記事を参照ください。
【日本のお墓の歴史とは?日本で一番大きなお墓!】
奈良・平安時代に入ると、
お墓や埋葬については
あまり解明されていませんが、
一部の権力者と
その家族だけが火葬(かそう)墓を
持ったといわれています。
実はこの時代、
一般庶民の多くの人たちが
どのように埋葬されたのかは
解明されていません。
供養塔
鎌倉・室町時代になると、
更に仏教の影響を受ける
などして供養塔が普及してきます。
鎌倉時代中期から
後期にかけては
- 宝塔
- 多宝塔
が急速に普及し、続いて、
- 宝篋印塔
- 五輪塔
- 無縫塔(むほうとう)
- 板石塔婆(いたびとうば)
- 笠塔婆(かさとうば)
などの石塔を建てました。
現在、多く使用されている
一般的なお墓の形である
角石型墓標は、
江戸時代から普及した形ですが
一般庶民が自分のお墓を
持てるようになったのは、
江戸時代末期からと言われています。
檀家制度の導入
この頃、徳川幕府は
キリスト教徒を根絶するため
檀家制度(だんかせいど)をつくり、
人々がいずれかの
寺院の檀徒(檀家・檀那)
となることを強制した
政治的・宗教的な影響が
反映されています。
今では一般的に知られている
檀家制度が導入されたのには
異国の宗教を浸透させないという
時代的背景や、政治の思惑が
あったのですね。
「ふみ絵」など、
社会の教科書に出てきたのを
覚えてらっしゃいますか?
今では日本でも浸透している
キリスト教も当時は信仰が
許されなかったのです。
一般市民もお墓が持てるように…
明治維新により、
檀家制度は法律上での
根拠を失いますが、
庶民とお寺の結びつきは強く、
仏葬(ぶっそう)も引き継がれます。
そして「家ごと」に埋蔵する形式が
一般化しましたが、
同時に墓地不足が深刻化し、
土葬から火葬が一般化するようになりました。
現代のお墓へ…
大正時代から昭和時代に入ると、
都市に人が集中し、
従来の寺院墓地や
公営墓地だけでは
墓地が不足し、広大な敷地に
公園墓地が出現します。
現在では、民営の墓地が増え始め
- 屋内墓所
- 納骨堂
- 霊廟
- 地下式霊園
などの新しい形態が登場しています。
お墓の歴史から見ると、
土葬や風葬(沖縄・離島)の
時代が長く、
火葬が普及して
遺骨を壷に入れて
お墓に納めるようになったのは
実は昭和30年頃からのようですね。
思っていたよりも最近のことでなんだか驚きです!
てっきり今の一般的とされている
お墓の形や、火葬などもっとずっと
昔からの風習だと思っていました。
こうやって改めて調べてみると、
いろんな発見が出来ますね。
また、土地柄や宗教・宗派によって
さらに細かな違いがあると思いますので
あなたの地域ではどんな背景があったのか
気になる人はぜひ調べてみてください。
知らない発見があって面白いですよ。
現代のお墓や、購入、きをつけることについては
コチラの記事でまとめています。
【お墓はいつから準備する?購入や建て替えの時期はいつ?】
次では墓守、墓じまい、永代供養…と
多様化している今をお伝えします。
まとめ
これからも、私が実際に体験したこと、
知らずにいて「へ~!」と思ったことを
忘れないようにまとめていきます。
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